20th April, 2011

■「べつに」を多用する人

マイペース型で協調性に欠けるタイプ。
理屈っぽく、自分に自信を持っているのでプライドが高い。
おだてに弱いタイプ。

■「なるほど」を多用する人

人の話を良く聞き、理解力のあるタイプ。
但し、そう見せているだけの場合もあるので要注意。

■「とにかく」を多用する人

自己防衛本能が強いタイプ。
このタイプの人に反論をするのは注意が必要。
相手の意見を肯定してから、やわらかく反論する必要がある。

■「ちょっと」を多用する人

思考のテンポが遅いタイプ。
相手のペースに合わせることが必要。

■「絶対」を多用する人

衝動的・感情的なタイプ。
意固地なところがあるので、無理に意見を通そうとはしないこと。

■「一応」を多用する人

頑固なタイプ。
自分の考えを曲げない性格なので、指示されたり人に物事を任せることを嫌う。

■「なんか」を多用する人

自分の強い意志を持っていないタイプ。
人の意見に左右されやすい。

■「みんな」を多用する人

自分の強い意志を持っていないタイプ。
「なんか」を多用する人同様、周りの意見に左右されやすい。

■「何しろ」を多用する人

理屈っぽいタイプ。
他人の意見に耳を貸さないことが多い。
合理的に話をすることが必要。

■「どうせ」を多用する人

自己中、負けず嫌いタイプ。
感情的になりやすいので、冷静に話をすることが必要。

■「わりと」を多用する人

ライバル心が強いタイプ。
また、親分肌、義理人情に厚いので、下手に出たほうが無難。
仲良くなると、強い味方になってくれる

26th November, 2010

posted 1 year ago

私はブログを書く。

ブログなんぞいろんなやり方があっていいと思う。

芸人の交遊録もいいし、日々食ったもんでもいい。

小粋なジョークや当たり障りのない時事ネタもいい。

別に他人が何を書こうがいい。

私には書く理由がある。

先日、私の息子が私立の幼稚園の受験に失敗した。

妻はひどく落ち込み、不貞寝し、周囲に当たり散らした。

それだけ一生懸命だったのだろう。

息子は屈託のない顔で

「がんばったよ」と言う。

私の息子は多分勉強もそんなに出来ないような気もする。

いやできるような気もする。

運動もできないような気がする。

いや出来るような気もする。

どっちでもいいと真剣に思う。

私は妻と口論になった。

まぁそりゃ不愉快だろうな。

妻の気持ちも分かる。

息子は毎日、これでもかってくらい「アンパンマン」を観る。

観まくる。

後輩の岩瀬という男がくれたアンパンマンの図鑑を大事しそうに抱えて、

沢山のキャラクターを言い当てるのが大好きだ。

夢中になって覚える。

そりゃジブリやピクサー、

なんなら普通の劇映画なんかを観て欲しいなぁなんて

思いながらも、

これはこれでいいとも思う。

夢中になっているだけでいいと思う。

だったら誰にも負けないくらいアンパンマンに詳しくなればいいだけだ。

集中したり夢中になれる才能があるなら、大丈夫だと思う。

たかだか人より1年、2年保育園や幼稚園にいけなくたって、別にかまやしないと思う。

妻は車の免許を取得して、どこか遠くの幼稚園に送り迎えしなきゃという。

地元にないのかと聞くと、地元は定員がいっぱいで入れないのだと応える。

私は子どもより日本のことが心配になる。

当たり前にできることはやらせて欲しい。

ちゃんと税金払っているのだから。

うちの息子はビビりで、面接も直前で怖気づいたそうだ。

まぁ、そんなところは私にそっくりで遺伝かなんかだろう。

私も小さいころ、他人の家に入れず、親戚の集まりのときは親戚の家の外で時間を

つぶしていた。

弟の手を繋いで。

私の父親は私が生まれてから4年ほどで蒸発した。

私の幼いころの一番の記憶は、母が5千円と包丁を握り締め、殴ってくる父に応戦しているところだ。

金を奪おうとする父と守ろうとする母。

まるでテレビドラマみたいだったんだなぁって後でのんきに思った。

でもそれも作り出した記憶かもしれない。

幼いころにおばさん、母の妹からよく聞いただけだからだ。

人と喋るのが恐怖だった私だが、今こうやってお喋りになれたのは、おばさんの影響だ。

おばさんはバスガイドをしていて、話を全て物語り口調で喋っていた。

だからかもしれないが歴史や国語は得意だった。

あの教科がなきゃ大学には入れてなかったと思う。

私が小さいころ、貧しくて母は死ぬことばかりを考えていたそうだ。

山口の下関から大分の佐伯に引っ越して、駅前のみなと保育園に私と弟は通った。

働いている母が迎えに来るのはいつも最後で、

滑り台を何回も何回も繰り返し滑って、時間を潰していたから、

私の尻はいつもあかぎれでいっぱいで風呂に入るとしみた。

でも保育園では何かをしてないと

気の毒そうにこっちを眺める先生の視線がいたかった。

だから一心不乱に滑り台をやった。

日が暮れても母が迎えにくることはほとんどなくて、残業が終わって母が滑り込みで保育園にやってきたとき、本当に嬉しかったのを覚えている。

後になって聞いた話。

母は一度一家心中を計画した。

自宅に遺書を残し、さぁ行こうと覚悟を決めたとき、

私がいないことに気がついた。

そんとき私は

佐伯にある唐辛子畑に忍び込み

唐辛子を一心不乱に食っていたそうだ。

母は一瞬私が狂ったと思ったそうだ。

私は腹が減っていたのだ。狂ったように唐辛子を食った。

やがて辛さに気づいた私はひたすら泣いた。

それを見た弟が泣き、母が泣き、母は生に執着する私にほだされた形で

死ぬことを諦めたそうだ。

私は覚えてない。

覚えてる話。

学生の下宿のようなアパートが住まいだった。

トイレも風呂も共同で。

隣の家から聴こえてくるピアノの音がいつもうるさくてたまらなかった。

母がスナックに働きに行った初めての日、私は泣いた。ひたすら弟と泣いた。

そのうち自分がしっかりしなきゃと思っても涙がこぼれる。

自分たちは捨てられたんだと思った。

それは毎日捨てられるんじゃないかと思ってたからだ。

だからそのときが来たんだと泣いた。

とにかく泣いた。

そんとき、見たことのない青年が家にやってきた。

「俺は母ちゃんのことよく知っているが、今日は仕事をしてきて夜中に帰ってくると言っていた」

そんなことを言ったのを覚えている。

そう諭されると一気に身体が疲労を帯びて、私ら兄弟はぐっすりと寝た。

翌朝、母が布団の中で寝ているのを見て、真剣に嬉しかったのを覚えている。

のちに僕は嘘というものは何かを救ったりするもんだと悟った。

その青年がどこに住んでいたかは、いまだによく知らない。

いたのかどうかも分からない。

後に私と弟はあれは宇宙人だったんじゃないかと

笑いながら語った。

貧乏暇なし。

働いていた母はどんどん気性が荒くなっていった。

女というのは環境でどんどん変化していくカメレオンみたいな生き物だ。

家族でファミリーレストランに出かけたとき、注文をとりにきたウエイトレスの態度が

とても悪かったことがあった。

母は少し怒っていた。

そのウエイトレスが注文を3回間違え、

謝りもせず舌打ちを一つ鳴らした瞬間、

母はそのウエイトレスに往復のびんたをかまし、

その場にお金を投げて、啖呵をきって出て行った。

私は恥ずかしくて恥ずかしくて、そのウエイトレスが間違えて持ってきた

ハンバーグを口にひたすら運んだ。

外に出てからも母は不機嫌だった。

私は恥ずかしかった。

辱めをうけたことに対し、母に怒りを覚えた。

なんでこんな人のとこに生まれてきたんだろう。

苗字が変わったり、給食費も払えなかったり、

家は貧乏で嘲笑の標的だ。

この特別感が本当に嫌で嫌でたまらなかった。

母が喋りかけるのを無視してスタスタと歩いた。

母はずっと悲しそうに私と弟と眺め、

泣きながら我々に謝り続けた。

私は反抗期だった。

反抗期と同時に他者とのコミニケーションがとれないことに気づいた。

私の発言はとにかくしゃくにさわるんだろう。

私は喋らないし、笑わない。

とにかく嫌なやつだった。クラスでも一人でいることが多かった。

これは今でもあんまり変わらないと思ったりもする。

私は大分の実家を出て行く前の朝、母から首を絞められ殺されかけた。

母はなぜそんなことをしたんだろう。人一倍愛情の深い人だった母がなぜそうしたのか、

上京し、明治大学に通いながらバイトと映画館に通いながら、

私の心には大きな黒い靄のようなものが必ず現れるようになった。

私のそばにいる女は皆優しく柔らかかった。

女を抱いて甘えてみることがこんなに気持ちよく心がやすらぐことなのか。

不思議だった。

女に私は聞いた。

「なぜ母親はそんなことをしたんだろうね」

女は優しく私の髪の毛をなぞりながらこう言った。

「ばーか、決まっているじゃない。東京にとられたくなかっただけよ」

母はひたすら必死に東京に住む私に金を送ってくれた。

駄目な息子だと見放すこともできただろうにだ。

私は考えた。

いろんな風に考えた。

母の生き方、母の意地、母の愛憎。

それは他人が作った歌やドラマや小説とは違う

私だけの母の姿だ。

そう思えるとなんだか笑えた。

一生背負っていくものがあるとしたら、その答えなんぞいらないから

ネタにだけしたいなって思った。

芸人になって、なんとやさしい世界だと思ったとき、そう思ったからだ。

ここでは悲劇が喜劇に変わる。

なんてやさしい世界なのだろうか。

排泄物のように垂れ流せば誰かが見てくれたりする。

ネタにすれば楽しんでくれるものがいる。

賛否があって当然だ。

でも少なくともここにいていいんだといわれているあいだは垂れ流しつづけたい。

誤解しないで欲しい。

私は不幸自慢したいわけじゃない。

だって幸せだから。

ほどほどに満たされず、

ほどほどに喜びが定期的にやってくる。

いい人生を送れていると思っている。

だから分からないことや、耳をふさいでなかったことにしたいこと、

全部笑いにできないかと思うだけなのだ。

とにかくとにかく

笑っているならばきっときっと大丈夫だ。

そう心底思うのだ。

臆病ものの息子は面接会場に入る寸前、怖くなってその場にへたりこんだそうだ。

そんとき、とっさに妻がもっていたチロルチョコを差し出した。

そのチロルチョコは私のライブに足を運んでくれる

お客さんが外側のカバーをダイノジの写真でプリントした

オリジナルのチロルチョコで、それをたまたま妻が所持していたのだ。

妻はこう言った。

「のんちゃん(私のこと)がついててくれるって」

すると涙目の息子は

「うん、がんばる」

と弱弱しくつぶやき、中に入っていったそうだ。

面接官の

「今日は誰と来ましたか?」

という質問に

「のんちゃんとママです!!」

と、大きな声で答えたそうだ。

面接官はのんちゃんって誰ですか?と聞き返し。妻が私のことだと伝えると、

少し諦めたようにため息をついたそうだ。

それで落とされたんならいいっしょ(笑)

いいネタ一個もらったもの。

俺は妻の作った飯を食いながら

日本シリーズを見ていたとき息子にこう言った。

「くよくよすんなよ」

するとにらみをきかせて息子が

私にこう言った。

「俺様はバイキンマンだぞ!!

お前をいつかやっつけてやるからな!はいふへほー」

すぐさま私はこの自称バイキンマンをくすぐりまくって懲らしめた。

結論:我が家のバイキンマンはむちゃくちゃ弱いのだ。

私はブログを書く。

日々、無駄なことから、ムキになってることまで。

衝動に任せて書く。

自分が正しいなんてまったく思ってない。

正しいと思ってないやつが

何か人様に表現することほど下品なことはない。

そんなことは分かっているんだ。

でも、分かってても書く。

全てを笑い飛ばすために書くのだ。

私は今日も生きている。

君はどうだ?

10th July, 2010

posted 1 year ago

事務機器メーカーの関西支社で、役員をしている四十代の人で、仮に高木さんとしておきましょうか。
この人の奥さんも、企業の第一線で働くキャリアウーマンなんですが、超過勤務が続いて、過労と過度のストレ スからか、仕事中に突然、激しい頭痛に襲われて、嘔吐して、意識を失ってしまった。
すぐに病院に運び込まれて、くも膜下出血と診断されて、緊急の手術が行われたんです。幸い処置が早かったの で助かったものの、その後の入院生活で、体調を崩してしまい、退院後も自宅療養する事になったため、職場復帰はかなわなかった。
夫妻には子供がいないので、この際、騒がしい街中から、閑静な郊外に、移り住む事にしたんです。そして、手 頃な一戸建ての中古物件が見付かって、引っ越した。
ただそうなると、大変なのは高木さんで、通勤時間が今迄の倍以上かかってしまう。朝は早くに家を出て、帰宅 も大分遅くなる。
それでも、休日には庭いじりも出来るし、夫婦でくつろげる時間も持てるようになった。
でも、奥さんはというと、無理のない程度の家事をする以外、これといってやる事も無いし、
日がな一日、庭に面した部屋の椅子に掛けて、ガラス戸越しに ボヤーッ と外を眺めたり
新聞に目を通すか雑誌を見るか、本を読んだり、TVを見たり、
気が向けば友人と長電話をしてストレスを発散しているらしいんですが、
何しろ今まで、企業の第一線で慌しく時間に追われていた人ですから、暇を持て余しているようで、高木さんが 勤めから戻るのを待ち受けていて、堰を切ったように一気に話しかけてくる。
そんな或る日、高木さんが帰宅すると、いつになく目を輝かせて、
「今日ね、隣の奥さんが、家に遊びに来ないかって、誘いに来たのよ。・・・隣の奥さんてね、喪服みたいな黒 い服を着てね、部屋中に蝋燭を灯してるの、・・・何か変でしょ・・」と言う。
以来、隣の奥さんは、ちょくちょく顔を出すらしい。そして日が過ぎて、高木さんが勤めから帰ると、奥さんが 待ち構えていて、
「今日ね、隣に大きな荷物が届いたんだけど、・・・それが 柩 みたいなんで、奥さんに聞いてみたんだけど教えてくれないの・・あれ何だろう?・・ 柩 なんか何に使うんだろう・・・?」と言った。
“相変わらず、好奇心が旺盛だなァ” と思った。 退屈凌ぎに、隣の家の様子を覗き見しているらしい。
それから暫く経って、高木さんが帰宅すると、奥さんが待ちかねていた様子で、いつになく興奮した口調で、目 を輝かせながら、
「今日ね、隣の奥さんがね、何重にもくるんだビニール袋を、重そ~にぶら下げて家から出て来て、それをベ ビーカーに乗せて、どこかに出かけて行ったのよ。・・あれ何だろう?・・ビニール袋の中味は何だったんだろう?・・まさかっご主人のバラバラ死体じゃない わよね・・」
と僅かに声を震わせて言った。話を聞くうちに背筋の辺りが ゾクッ とした。
“・・でもおかしい・・” というのは、隣は空き家で、誰も住んでいないはずなんで、恐らく家の持ち主の奥 さんが、時々様子を見に来ては、そのついでに、女房のところへ立ち寄っていくんだろうと思っていたんですが、どうも様子が違う。
“だとすると、やっぱりこれは、女房の作り話だろうか?それとも隣には、本当にそんな奥さんがいるんだろう か?・・暇を持て余して、ありもしない空想話を作り上げては、面白半分に自分に聞かせているんだろうか?”
“いや、でも、それならそうと言うだろうし、嘘をついているようにも見えないし、・・まさか手術の後遺症で 幻覚でも見るんだろうか・・・・・・・??”
どうにも気になったものですから、人を介して調べてもらうと、意外な事実を知らされた。
それというのは、隣の家では五年程前に、この家の奥さんが白昼室内で、惨殺されるという事件があったとい う。
全身滅多斬りにされて、自らの体から流れ出た血溜りの中で、息絶えていたそうで、近くには柄の辺りまでべっ とりと鮮血に染まった、鉈(なた)が落ちていたという事だった。
事件後、家の者は世間の目をはばかって、逃げるように越して行ったそうで、その後、間もなく隣に住む一家 も、何やら慌てて引っ越して行ったという。
“何だろう?この二軒の家は、何らかの因果関係でもあったんだろうか?それとも単に惨劇のあった隣の家が、 空き家になって気味が悪くて、越していったんだろうか?”
“・・・そして空き家が二軒になって、その一方に、自分達夫婦が越して来たという訳か、そして残るもう一軒 の隣の空き家が、奥さんが惨殺された家か・・・”
“えっっ!?・・となるとおかしい??隣の家の奥さんは、惨殺されてる訳だから・・・・・・じゃあ女房のと ころへ遣って来る、隣の奥さんって一体何者なんだ???”
“・・・・・隣の家がおかしいのか?自分の女房がおかしいのか?確かめてみよう・・”  と思った。
朝いつものように家を出て、会社に出勤してから、打ち合わせに出かける。という口実でまた戻って来た。
といっても自分の家には帰らずに、人目を避けて、隣の家の敷地に忍び込むと、裏手に回った。・・勝手口のド アがある、ノブを掴んで回してみると、
・・・・・・・・回った。    鍵はかかっていない、手前に引くと、擦れた音を立てて開いた。
“ドアが開いているという事は、誰か人が出入りしているんだろうか?”
中を覗くと、ガランとしていて、履物も無ければ何も無い。やっぱり空き家のようだ。とは思っても、もしもと いう事もあるので、声を抑えて、
「御免下さい!・・すいません・・御免下さい!・・」
と奥に向かって言ったんですが、何の応答も無い。  で、覚悟を決めて上がってみた。
家の中は、閉め切ってあるせいか、僅かにジメッとして、空気が澱んでいるような気がした。
辺りを見回すと、家具も物も無く壁だけが目に付く、所々の隙間から洩れてくる幽かな陽射しで、薄暗い廊下を 行く・・・・・・・・
“やっぱり、ただの空き家なのかなァ・・”とは思うものの、
“この家で、五年前に奥さんが、鉈(なた)でズタズタにされて殺されたんだな・・” と考えると背筋の辺り が ヒンヤリ とした。
そして玄関に来ると、  “ん!?”
あった、ベビーカーがあった!  “ベビーカーあるじゃないかぁ”
で、すぐそばの部屋を覗いてみると、ガラーンとした室内に、
“・・・・・・・・ある!?”
部屋のあちこちに、燭台に立てられた、燃えさしの蝋燭がある。それも状況から見てわりと最近使われたものら しい。
“蝋燭もあったじゃないか、女房の言った通りだ。・・・・でも蝋燭をこんなにつけて、ここで何をしてたんだ ろう?”
何だか嫌な胸騒ぎがする。 そして居間に行った。 ・・・ノブを掴んでドアを開けると、中は暗い。 壁の明 かりのスイッチを押してみた。
が、電気は切られているようだった。廊下から洩れた薄明りが、室内の輪郭をボンヤリ照らしている。ゆっくり と視線を移してゆくと、次第に目が慣れて来た。  ・・・・・・・・・・・・と、
“う゛う~っっっ!”
思わず喉の奥で、声にならない悲鳴を上げた。  “柩だ!”  暗い居間の中央に、真新しい白木の柩が置か れている。
“本当だ。・・・女房の言った通りだ。何で空き家に 柩 があるんだ???・・どうしてこんな物があるんだろう?・・何に使うんだ?・・この家、おかしい・・・?!”
ふっとまた、惨殺された奥さんの事が頭をよぎる。・・・・・・・体中がじっとりと汗で濡れている事に気付い た・・・・・・・ゾクゾクッと寒気がする。
“何かが変だ?!・・怖い・・・・・・無性に怖い・・”
静まり返った薄闇の中に、たった一人でいる事を、改めて知らされた思いがした。正体の見えない恐怖が、ジワ ジワと忍び寄って来る。逃げ出したくなる気持ちを奮い立たせて、廊下に出るとその先に、開いたままの引戸が見えた。
近付くと、その奥にガラス戸がのぞいている。曇りガラスが填まっていて向こう側が幾らか明かるい。そこが浴 室である事はひと目でわかる。把手を掴んで引くと、ガラス戸が開いた。頭を突っ込んで見ると、小さな窓から外光がぼんやりと射し込んで、ガランとした浴室 内を照らしていた。
乾いた浴槽の底に、新しい 鉈(なた) と 鉄鋸(てつのこ) が並んで置いてある。
“何でこんな物が浴室にあるんだ?・・・誰が何のために置いたんだろう?・・・一体此所で何をしようという んだ?・・・まさかっ?!・・”
と思った一瞬、鉈(なた)で滅多斬りにされている、血塗れの女が頭に浮かんだ。途端に血の気が引いて体中が 冷えてゆくのを感じた。
“まずいぞ・・・ここは、まずい!”   気分が悪くなってきた。 やけに息苦しい。 “でも見届けなく ちゃ・・上には恐らく何かがあるはずだ!!!”   浴室を出ると階段の下へ行って見上げた。震えの止まらない膝で、暗い階段を
トン・・トン・・タン・・トン・・トン・・トン・・
気配を窺いながら、一段、一段、上がってゆく。
タン・・トン・・タン・・トン・・タン・・トン・・トン
二階に上がると、弱い日差しが細く射し込んでいて、廊下の限られた範囲を、僅かに照らしていた。・・突き当 たりにドアが見える。寝室らしい。体中が緊張で強張っている。近寄ってノブを掴んで静かに回して引いた。
ドアが開いてゆくにつれて、廊下の薄明かりが射し込んで、暗い寝室を幽かに照らし出してゆく。覗き込むと、 中には何も無い・・・・・・と、ふっと異臭が鼻を突いた。
“ん?!・・この臭い、何の臭いだろう?”  室内を確かめるように見回してゆくと・・
“・・ん?・・あの染みは何だろう?”  カーペットの床に、大きな染みが出来ているのが目に入った。ふっ と気になって、中に入って行って、染みの傍にしゃがみ込んで見ると、黒ずんだ色をしている。
右手の人差指で、こすってみると、僅かにジメッとして、指先が赤黒く染まった。 鼻先に指を近付けると、 腐ったような、生臭い臭いがする。
“これ血じゃないか!?”   途端に体が凍り付いた。
染みはカーペットの下から、滲み出ているようだった。カーペットを剥がしたら、おそらく、その下から大きな 血溜りの跡が現れるに違いない。
“・・そうかここか。ここが惨殺の現場なんだ。この家の奥さんは、この寝室で、滅多斬りにされたん だ!・・・そしてこの血溜りの中で息絶えたんだ・・”
しゃがんだまま、体がその場に貼り付いたように硬直している。頭の天辺から噴き出した冷汗が、額から顔面、 首筋へと伝わってゆく。顎の先からも、ポタポタと滴り落ちている。体の震えが止まらない。静寂の中で心臓が激しく鼓動している。
“いけない!自分は罠にはまったのかも知れない。この家は自分の来るのを待っていたんじゃないだろうか?”
と一瞬思った。・・その時背後にふっと気配を感じた。
“いるーーー!?    ・・誰かうしろにいるっ・・!”
駄目だ、逃げようが無い。しゃがんだままゆっくりと振り向いた。  ・・いる!・・  入口に人影が立って いる。廊下からの幽かな光線を背後に受けて、逆光のかたちで、黒い人影が立っている。
・・黒い喪服を着ている。視線を上げてゆくと、薄暗い中でボンヤリと青白い顔の輪郭が見えた。
・・やがて焦点が合ってきて、     ・・そして正体が見えた。 その途端、 あまりの驚きで声を失っ た。
・・それは、その顔は何と自分の女房だった。。。。。。
女房が、喪服姿で立っている! 無表情な視線を向けて、口元だけが薄らと微笑んで。「・・やっぱり来ると 思った・・」と言った。
“変だ!?何時もの女房じゃない!”  「お前おかしいぞ!しっかりしろ!」 と夢中で叫んだ。
その時、女房の手に ギラッ と光る 鉈(なた)が握られているのが、目に入った。「お前は妄想に取りつかれてるんだ!お前はお前の作った話にあやつられているんだ!!!」と必死に叫んだ。      と・・その時、
((奥さん、早くやっちゃいなさいよ))                 という低い女の声が廊下から聞 えた。
“んっ!?誰なんだっ?”
と思った次の瞬間、女房が 鉈(なた)を掴んだ腕を、グーーーーーーーーーーーッと振り上げた。x

posted 1 year ago

浜に行くと地元の人達が数人集まって、沖を見つめながら、口々に何か言ってるんで、
(あれ?何かあったのかなァ・・・)それと無くその場にいると、聞くとも無く、沖で行方不明者の捜索が行わ れている事を知った。
「・・そうか、夏は毎年、水の犠牲者が出るんだよなァ・・」と、ひとり呟いて、波打際をしばらく行ってみる と、波に打ち寄せられて漂っているエア・マットが目に入った。
(・・あれ?? 人の姿が無い。誰か忘れていったんだろうか?それとも、どこからか流れ着いたんだろう か?)
そんな想像をして、勝手に乗って、しばらく遊ぶと、そのまま抱えて、合宿所に持って帰った。
夕食の時、誰かが、「なぁ、隣の海水浴場で、昼にエア・マットに乗って沖に出た若い男が、夕方、水死体で見 付かったんだってさァ。それがさ、その死体は、右手に長い髪の毛の束を、しっかり握ってたっていうんだ。何だか気味が悪いよなァ・・」と言った。その時に ふっと思った。
(そのエア・マットって、、、、まさか?!あのエア・マットじゃないだろうな?)
翌日の昼過ぎに、仲間の内山君が 『これ、借りるぞー』 と言って、エア・マットを抱えると浜に出て行っ た。
自分も後から浜に行くと、少し沖で、エア・マットに腹ばいになって、気分よさそうに浮いている、内山君の姿 があったんで、
「オーイ!」 と大声で呼ぶと、こっちに気付いて、大きく手を振った。
そして両手で水を掻いて沖へ向かって行った。自分は砂浜にビニールシートを敷くと、ゴロンと寝そべって、真 夏の陽射しを浴びていた。
気がつくと、いつの間にか内山君の姿が見えなくなっていた。波に揺られてだいぶ沖まで出て行ったらしい。
時間が過ぎて、陽も傾くと浜の人影もまばらになったんで、そろそろ自分も引き揚げる事にしたんだが、内山君 の姿が見えない。 (あいつ、どこまで行っちゃったんだろう?ま、そのうち戻って来るさ・・・)そう思って、合宿所へ帰った。
ところが夕食の時刻になっても、彼は帰って来なかった。
食事も済んで、皆で騒いでいるうちに、時間になって皆が眠りについた。 自分は昼間の日焼けの疲れもあっ て、正体もなく眠り込んでいた。
網戸を通して、時折入って来る風が、火照った体を、心地よく撫でてゆく・・・
と、一瞬風が止まった。
で、ふっと目が覚めた。
あちこちで寝息が聞こえる。
ボヤーッと辺りを見回すと、暗い座敷の隅に誰か立っているんで、誰だろうと見ると、
全身、ぐっしょりと濡れた内山君が帰ってきていた。
「・・内山か?・・・お前どうしたんだよ。今頃まで何してたんだ?」
と聞くと、自分の近くまできて座ったんで、自分も起きて座った。その時、何か変な感じがした。すると、内山 君が話し始めた。
『俺さ、エア・マットに腹ばいになって、水を掻いて、沖に向かっていたんだよ。するとうまい具合に、流れに 乗って勝手にエア・マットがどんどん進んで行くんだ・・・。』
『俺は、夏の陽差しを全身に受けながら、流れに任せて、気持よ~く揺られていたよ。そのうち、((どのくら いきたんだろう?))と、振り返って見たら、もう岸はだいぶ遠くて、ずいぶん沖まできてしまった事に気が付いたんだ。』
『俺は急に不安になってきて、慌てて足をバタつかせて、両手で水をバシャバシャと掻いて、エア・マットの向 きを変えて浜に戻ろうとしたんだ。だけど、全く進まないんだ。それどころか、ますます流されてゆくんだよ。』
『陸が小さく遠ざかってゆくのさ。そうするうちに海面が次第にうねってきて、エア・マットが大きく揺れ出し たんだ』
『俺は、夏の陽差しを全身に受けながら、流れに任せて、気持よ~く揺られていたよ。そのうち、((どのくら いきたんだろう?))と、振り返って見たら、もう岸はだいぶ遠くて、ずいぶん沖まできてしまった事に気が付いたんだ。』
『俺は急に不安になってきて、慌てて足をバタつかせて、両手で水をバシャバシャと掻いて、エア・マットの向 きを変えて浜に戻ろうとしたんだ。だけど、全く進まないんだ。それどころか、ますます流されてゆくんだよ。』
『陸が小さく遠ざかってゆくのさ。そうするうちに海面が次第にうねってきて、エア・マットが大きく揺れ出し たんだ』
『うねりに乗って、 ぐーっ ともち上げられたかと思うと、今度は一気に  ぐーっ と波間に沈んで、また   ぐーっ ともち上げられて右へ行ったり左へ行ったり、激しく揺れるんだ。俺は海中に落されないように、エア・マットに必死にしがみ付いていたよ。』
『その時だっ!不意に何かの気配を感じたのさ。』
『そいつは自分の近くにいるようだった。。。。。』
『大きくうねる海面を見回したよ。ところが何もいないのさ。。。。いや、そうじゃない?!そいつは、すぐ近 くの見えないところにいるんだ!という事は、自分のすぐ真後ろか、自分が腹ばいになっている、、、、、』
『このエア・マットの真下にいる・・・・・・・!!!!と思った途端に恐ろしくなった。』
『と、その瞬間、エア・マットの下で何かが動いたんだ!』
『やっぱり下に何かいる。。。ここから早く離れようと、両手で水を掻くと、指に何か絡みついてきた。変な感 触がして、水中から手を引き上げてみると、』
『長~い髪の毛なんだよ、  人の髪の毛・・・。  誰もいない海の真ん中でだぜ・・・。』
『((こりゃ何だっ))と思ったよ。』
『その時、視線の端にエア・マットの両端を掴んでいる、青紫に変色した人の指が見えたんだ。思わず喉の奥で 声にならない悲鳴を上げたよ。それが生きてる人間のものじゃない事は、ひと目でわかった。熱い陽を浴びながら、俺のはゾクゾクと冷えてゆくのを感じた よ。』
『今、自分が腹ばいになっている、エア・マットの裏側に、死体が張り付いているっ!と思ったら、恐怖で頭が いっぱいになって、どうにか振り払おうと、、、、ただもう闇雲に手足をバタバタバタバタとバタつかせてると、』
『うねりでもち上げられたエア・マットが、 バタンッ と裏返って、俺が海中に落ちて、エア・マットの下に なっちまった。マットの縁を掴んで、海面に顔を出そうとすると、頭が上がらない。なおも上げようとしても上がらない、俺は焦ってきた。水中から上を見上げ ると、』
『エア・マットの縁から、、、、、、  腐った女の顔が覗いて、白目を剥いて、水の中の俺を    ジッーーー  と見下ろしているんだ。』
『((苦しい。息が出来ない・・・))海面に出ようと、必死にもがいたよ。その時、女の長い髪の先が、水中 まで垂れ下がっているのが見えたんだ。』
『俺は咄嗟に、その髪の毛を掴むと、思いっ切り、、、、、、』
『    グーーーーーーーーーーーーッ   』
『と引っ張ったんだ。』
『すると、 ズルズルッ と腐った頭から抜け落ちたんだ。そして、次の瞬間?!   女が、俺の頭を掴んで 暗い海中に ググググーッ と沈めていったのさ・・・・・・』
と言って、『・・・・・・ フフッ ・・・・・・』 と小さく笑って、内山君は部屋を出て行った。
(ああ、シャワーを浴びて着替えるんだろう・・・)  彼は待つうちに眠ってしまった。
翌朝起きると、内山君の姿が無かった。(あれ?もう浜にでも行ったんだろうか?)仲間に聞くと、誰も彼の姿 を見ていない。昨夜の様子といい、妙な胸騒ぎを感じた。
皆に、夜中に帰ってきた内山君から聞かされた話をすると、誰もが気味悪がった。するとひとりが、
「全身濡れて帰ってきて、シャワー浴びたんなら、着替えてるから、短パンもTシャツも、洗濯籠に入ってるだ ろう??」
と、確かめに行って、戻ってくると、「昨日、夕食前に洗濯したままで、籠の中は空っぽだったぞー」と言っ た。
(じゃあ、あいつは濡れたままで、またどこかへ行ったんだろうか?)彼の行動を不審に思っているところへ、 合宿所のおばさんが青ざめた顔で駆け込んできた。
「すいませんけどねぇ、皆さんの中で、どなたか昨日から帰ってない人っています?今、警察から連絡があっ て、うちにきている人かどうか、確認して欲しいって言うんだけど、、、、、」と言うと、皆が自分を見たんで、
「昨日の夜中に、内山がぐっしょり濡れて帰ってきて、俺と少し話をして、その後見てないんですよ。何かあっ たんですか?」 と聞くと、おばさんの顔がますますこわばって、
「じゃあ、私と一緒に確認に行ってもらえます?若い男の人の水死体が上がったそうなんですよ、、、、、」
さすがに皆驚いて、で、全員で行く事にした。おばさんの後を、ゾロゾロ付いてゆくと、そこは地元の漁師さん の漁船の船着き場で、コンクリートの防波堤の上に、シートをかぶった死体らしいものが横たわっているのが見えてきた。その周りには、地元の人や漁師さんに 警官の姿もあった。
皆が少し離れたところで立ち止ると、おばさんが駆けて警官のところへ行って2言3言、何か言うと、警官が我 々の方を向いて、手招きしながら 「お願いします」 と言った。
皆が恐る恐るシートを遠巻きにして立って、覚悟をきめると、やおら近寄って行って、で、事の成り行き上、自 分がシートの端を掴んだ。
他人であることを祈りながら、静に捲ってゆくと、次第に顔が現れてきて、
(うわゎゎゎっっっっーーーーーーーーーーーーーーー)
ほとんど同時に、皆が声を上げた。
その顔は内山君だった。
「我々の仲間です、、、、」と警官に告げると、年配の漁師さんが近付いてきて、
「明け方、網に掛かって上がったんだけどな、でも死んだのは、おそらく、昨日の陽のあるうちだろうな~」と 言った。
(えっ、じゃあ、昨日、夜中に帰ってきたのは・・・・?内山は、あの時、既に死んでたのか・・・?!)
呆然としていると、警官が、「これがどうも、わからないんですがねぇ」と言いながら、シートを捲っていっ て、内山君の手を指差すと、
「かなりの量の髪の毛を握ってるんですがね・・・・・・」と言った。見ると内山君の死体は、右手に長い髪の 毛の束を、しっかりと握っていた。
「女性の髪の毛と思われるんですが、それも死んだ人の髪の毛のようなんです。死ぬ直前に掴んだんでしょうけ ど、一体誰の髪の毛なんでしょうね?どこで掴んだんでしょう?」と言ったんで、ふっと、昨日内山君が浮いていた沖の辺りを見ると・・・・
あのエア・マットに、髪の長い女が、腹ばいになって波に揺られているのが目に入った。

6th May, 2010

1年半に渡ったpe’zmokuとしての意欲的な活動を経て、PE’Zより約3年ぶりのニュー・アルバム 『1・2・MAX』が到着した。99年の結成から10年が経過した節目の作品と言える本作は、スピードとグルーヴを両立させた豊かなリズムとキャッチーな メロディー、そしてスリリングに絡み合う5人の演奏(と、ヒイズミマサユ機の叫び!)が堪能できる、痛快極まりない一枚に仕上がった。原点回帰と新たな チャレンジを同時に掲げ、独自のスタイル=侍ジャズの枠組みからすらはみ出しながらジャンルレスなグッド・ミュージックの道をひた走るPE’Z。さらにス ケールアップした彼らの雄姿をその目と耳で確かめてほしい。

 

心置きなくいい曲を作ってください、俺はがんばりますから

――久しぶりですね、PE’Z名義の作品は。

Ohyama “B.M.W.” Wataru(トランペット)「オリ ジナルは3年ぶりですね」

――非常に痛快で、前向きで、スピード感たっぷりで、素晴らしいです。久々のオリジナ ル・アルバムということで、ここはひとつ勢いよく行きましょうという感じですか。

Ohyama「そうですね。明るく、元気に。PE’Z全開、っていう感 じで行きたいなと思って、そういう曲を詰めこんだ感がありますね」

――その間にはpe’zmokuでの活動期間があるわけですけど、あれはPE’Zとは まったく違う活動だと言ってましたよね。活動中には。

Ohyama「違うんですけど、やってるのは同じ人間ですから、やっぱ り影響はすごいあるというのが正直なところですね。あの活動があったおかげで今回のアルバムが出来た。それは間違いなく言えることですね。1年半の間にい ろんなことを経験しましたし、いろんな広がりも感じられましたし、これを作ってみて〈ああ、あれがあったおかげだな〉というのはやっぱり感じますよ」

ヒイズミマサユ機(キーボード)「あそこでいろいろ学びましたし、エン ターテイメント性みたいなものも上がったかなと。それが今回、ちょっと出てるんじゃないかと思います」

――メロディーの作り方ははっきり違うと言ってましたよね。ヴォーカルものを作る時に は。

Ohyama「自分が吹かないというのがいちばんデカイんですよね。人 に対してだと、100%責任感を持ってメロディーを作り上げなきゃいけないけど、自分で吹く時には、甘えちゃう部分も出てくるんですよ。〈メロディーがこ んなに(途切れなく)続くと、ライヴで吹く時キツイな〉とか思っちゃうんですよね、どうしても。それでキーを変えちゃえとか、休符にしちゃえとか、けっこ うあったんですよ。〈本当はこのメロディーがいいんだけど……〉っていう妥協が絶対に出てきちゃう。それを無視して作って、あとで自分が苦労すればいい やっていう、そういう作り方に変えざるを得なくなった。pe’zmokuをやったおかげで」

――ああ、なるほど。それはデカイですね。

Ohyama「デカイです。嫌なんですけどね(笑)。ライヴがユウウツ です(笑)。マサユ機もさらにS度が増してきて、ヒドイんですよ。〈君の楽器はずっと弾き続けられるけど、こっちは息継ぎしないとダメだから!〉って言っ てるのに、ないんですよ、息を吸う場所が。1ミリも。でも〈ここに吸う場所作らせてよ〉とか言ったら弱気になっちゃうから、〈いいよ、やるよ〉っていう強 がりの連発になっちゃって、また頭が痛くなっちゃう(笑)」

――そんなこと言われてますけど、ヒイズミさん。

ヒイズミ「いやぁ、あの、そうですねぇ(笑)」

Ohyama「ただ、いろんな雑誌でいろんなバンドのインタヴューを見 ても、管楽器の人は〈ピアノの奴が作る曲はキツイ〉って、みんな言ってるんですよ。だからマサユ機だけがSなんじゃなくて、楽器の特性上そうなっちゃうん だなって。だったら心置きなくいい曲を作ってください、俺はがんばりますからと。そういう感じになりましたね」

頭の悪い感じが想像できた

1・2・MAX PE’Z 発売日:2010/02/03 ¥2,300

――それは確実にこのアルバムのメロディーの良さに繋がってると思いますよ。それと今 回、曲のクレジットが全部PE’Zになってるんですけど、これはどういう?

Ohyama「マサユ機と俺がベースを作って、というスタンスは変わら ないんですけど、今回は合宿でレコーディングをしたりとか、あと5人で作るというやり方に徐々に変えていこう、という意識もありまして。いままでもそうい うやり方をしてる部分はあったんですけど、全面的にそうしましょうということで、今回はクレジットがすべてPE’Zになりましたね」

――合宿はどこでどのくらいの時間をかけて?

Ohyama「曲作りとベースのトラック作りを、去年の夏に、北海道で 2週間ぐらい。森のなかにレコーディング・スタジオと合宿施設があって、このアルバムはそこ始まりです。仕上げには結局11月ぐらいまでかかったんですけ ど」

――まず1曲目の“Csikos Post ~クシコスポスト~”のカヴァーでいきなり意表を突かれたんですけど、この曲を選んだ理由は?

Ohyama「何かをカヴァーしようという話になって会議を重ねてい て、一回まともな方向に行きかけたんですよ。クラシックをオシャレなアレンジで、みたいな。それをやめてこれにしました。元の曲に思い入れはないんですけ ど、やってみた時の頭の悪い感じが想像できたというか」

――頭の悪い感じ(笑)。運動会でお馴染みの曲ですよね。

Ohyama「やっぱり体育会系と、音楽とか芸術の文科系って本来は逆 なんです。だから音楽やってる奴は、運動会とか大っ嫌いなはずなんですよ。でも俺はなぜか運動会大好きで育ってきました。音楽やってる奴はスポーツ万能 じゃなきゃダメだっていう持論すらあるんですよ、昔から」

ヒイズミ「僕は小学校の運動会の徒競走で、1位が取れなくて本気で泣き ました。校庭の真ん中で」

――ということは、すごい自信があったと。

ヒイズミ「そんなでもないですけど。球技だったらとりあえずできるかな と思います」

Ohyama「マサユ機にはいいポテンシャルを感じますよ。あとの3人 は基本的に真ん中よりは下です(笑)。けど、できなくはない。一人だけダントツでできない奴がいるんですけどね、誰とは言わないですけど(笑)。でも5人 で何かやろうということになるじゃないですか、運動でも何でも。みんな一生懸命にやるのが共通点で、だからいい仲間なんです」

――なるほど。“Csikos Post~クシコスポスト~”の話に戻りますけど、前半がスロウなジャズで、後半が猛烈に速い2ビート。大胆なアレンジですね。

Ohyama「この曲をやろうと思った時に、後半の部分が想像できたん で。真逆の部分も入れようということで前半のアレンジを考えて、アルバムのオープニングとして入れました。いままではまずありえない1曲目ですけどね。そ こもちょっと今回は、10年目ということで変化をつけてみました」

ヒイズミ、シャウト解禁

――そして2曲目が“1・2・MAX”。アルバム・タイトルにもなってるくらいだから 大事な曲ですよね。

Ohyama「シングルですよね、気持ちとして」

――曲中でものすごく目立ってるヒイズミさんの歌というかしゃべりというか、あれ、何 語ですか。

ヒイズミ「ドイツ語です……いえ、意味はないです(笑)」

Ohyama「真面目にドイツ語で歌ってたら使いませんよ。ちょっと気 が緩むと、一瞬アジアの匂いがするところもたまんないです。実際、3年前のアルバムの時には、マサユ機の声を使ってないんですよ、一個も。それまでずっと 使ってたところをピタッとやめてみて、寝かせた結果、このアルバムが出来たという」

――今回、歌いまくってますね。叫びまくってると言ってもいいですが。

Ohyama「やっぱりいいなと思いますね。なんかね、歌手活動に影響 があるから、PE’Zでの叫びは遠慮させてくださいっていう申し出がありまして」

ヒイズミ「ははははは」

Ohyama「それで4年寝かせました」

ヒイズミ「晴れて解禁です」

初披露したライヴとは思えなかった8曲

――“サクラロード~夢ノトオリミチ~”はいい曲ですね。PE’Z王道の一際切ないメ ロディーで。

Ohyama「日本のメロディーです。アレンジ的には、PE’Z必殺の 偽サンバ。偽サンバは今年押していこうと思ってるんですよ、久々に。ブラジル人のお墨付きですから。“Hale no sola sita~LA YELLOW SAMBA~”っていうシングルを出した時、PVの撮影にブラジル人がダンサーとして来たんですけど、〈コレ、サンバジャナイネ〉って言われたんですよ (笑)。だから偽サンバです」

――次が“ミラクルサンダース”。とびきり明るくてファニーなムードです。

Ohyama「タイトルが曲を表してると思うんですけど、超高速メリー ゴーラウンドみたいな感じです。一昨年、pe’zmokuの取材で名古屋のTV番組に出た時にメリーゴーラウンドに乗せられ、その上で取材っていう (笑)。ずーっと回ってるんですよ。それが長くて、完璧に酔いまして。メリーゴーラウンドもあれだけ回ると酔うというのが初めてわかり、その経験を活かし て作った曲です」

ヒイズミ「〈大丈夫ですか?〉って訊かれて、〈大丈夫ですよ〉って言い つつ、ちょっとフラっと(笑)」

Ohyama「ずっと笑顔ですよ、もちろん。あたりまえですよ」

――素晴らしい(笑)。そして“くらむちゃうだー”。これはリズムがすごいです。何て 言うんですか、この速いリズム。ドラムンベースでもないし。

Ohyama「何て言うんでしょうね。PE’Zを組んでいちばん最初の 頃このリズムはなかったんですけど、いろんなものを採り入れていった時期があって、あれはインドネシアの民族音楽とクラブ・ミュージックを混ぜたやつだっ たかな、何とかっていうリズムがあるっていうのを友達に教えてもらって。とにかく高速だったんですよ。〈これをやろう〉っていうことになって、航さん(ド ラムス)といっしょにそれを聴いて、開発したリズムです。そこから始まって、けっこういろんなところに登場してるんですけど、完璧にオリジナルですね」

――そして“万歳。”。これは理屈抜きで明るくノリのいい、笑顔になれる曲です。

ヒイズミ「ハッピーな」

――これはヒイズミさんのメロディーでしょう。

Ohyama「お義母さんがこの曲を聴いて、〈これはワタルくんの曲 じゃないわね。だって明るいもの〉って(笑)。〈え~!? 何すかそれ!?〉って(笑)。誰の曲とか何も言ってないのに。〈そうですね~、はははは〉って 言っときましたけど。それ以上深く話すと生活に支障が出てきそうなんで(笑)」

――おもしろすぎます(笑)。でもこの曲、ライヴの最後のほうにやるとすごく合いそう です。

Ohyama「実際このアルバムの曲、札幌で一回だけ、8曲全部やった んですよ。初めてやったのにお客さんの振りとかができてて、初めてのライヴに見えなかったですね。わかりやすいってことだと思うんですよ、ノリが。選んで 良かったなと、間違ってなかったなと思いました」

――次が“花散れど我散らず”。これも和風な感じの切ないメロディーで、途中でスカの リズムになるのが楽しいです。

Ohyama「みんなスカ好きですから。いろいろ試した結果、それがい ちばん合ったんでスカにしました。やっぱり楽しいですね」

――そしてラストが“Woo-ha!!”ですよ。こういう思い切りソウルフルなフレー ズの曲って、いままでまったくなかったですよね。驚きました。

Ohyama「あえて避けてたっていうほど意識はしてなかったんですけ ど、気付いたら〈あ、なかったんだ〉っていう感じで。合宿中に作って、すごくいいなと思いましたね。ちょっとこの路線は引きずるかもしれないなっていう気 がしてます。もともとソウルはすごい聴いて育ってますし、モータウンとかも好きですし。大好きなんですけど、それを直接PE’Zの音楽にあんまり反映させ てなかったなっていう。たぶん何回も出てきては消え、みたいなことだったと思うんですけど、やっと形になったなという。10年かかったということですね」

NOT JAZZ!! BUT PE’Z!!!~10TH ANNIVERSARY TRIBUTE TO PE’Z~ Various Artists 発売日:2009/11/11 ¥2,940

――ヒイズミさん、こういうモロにソウルっぽい曲は?

ヒイズミ「大好きですね。僕もソウルとかファンクとか、70年代風の音 の質感は大好きなので。いままでのPE’Zのリズムの録り方とはちょっと違うテイストというか、そこがいいなという気がします」

Ohyama「この路線でもうちょっと、いろいろやってみたい気はして ますね。去年はトリビュート盤だとか、その前にはリミックス盤が2枚出て、いろんな人といろんなことをしてきましたが、そういう場にもヒントがあるんだ な、って思います。それが新しく発見されると嬉しいですね」

当時の気持ちをどういまに活かすか

――先ほどから10周年という言葉が出ていて、99年結成ですから正確には去年だった わけですけど、原点回帰みたいな気分はあります? このアルバムには、かつてのインディーズ時代を彷彿させるような勢いのある曲がズラリと並んでいて、余 計にそう思うんですが。

Ohyama「思い返すと、あの時のムチャさや勢いはいつまでたっても 必要だなと感じますから、意識はしてます。普通、テンションというのはどんどん落ちる一方なんですよ、人間というのは。ドキドキする感覚は最初がいちばん 高い。そこをなんとか持ち上げるためにいろんなことを考えて、新鮮にする努力は必要だと思うんですよ。〈10周年だね、良かったね〉で終わってたら何の意 味もなくて、当時の気持ちをどういまに活かすかということが大事だと思うんですね。だから〈今回は昔の感じが入ってますね〉とか言われると、嬉しかったり しますよ」

――入ってますよ。それにハッピー感みたいなものは、全然いまのほうが増してると思い ます。

Ohyama「ハッピー感はいいですね。いま、ハッピーな顔してる人が 少ないですから、世の中に。ハッピーに行こうというのはあります。音楽にはそういう力があると思いますね」

――そして3月には東京で怒涛の10連続ライヴがあって、4月からは全国5か所のツ アーもあります。どんな気持ちで臨みますか。

ヒイズミ「毎回〈MAX! MAX!〉って叫ばなきゃいけないと思うと 大変です(笑)。でもがんばります」

Ohyama「10連戦は、10周年の始まりの助走というか、『1・ 2・MAX』というアルバムの試運転的な部分ですから。来てくれたお客さんと共にライヴを作っていく期間なんですよね。そこで仕上げて全国ツアーに向かっ ていくという感じです。完璧なライヴを見せますよ」

2nd May, 2010

スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)


米 国スタンフォード大学卒業式での祝賀スピーチ(日本語訳)☆



PART 1. BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私 は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3 つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講し ていました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

  私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたの で、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの 土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が 行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出てい ないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したの で、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

PART 2. COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタン フォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃に は、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてく れるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信 じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だっ て退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんで すからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラ の瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレク リシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値 のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

PART 3. CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至る ところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。も う普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしい フォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私 はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って 最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組 み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただ ろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったこ とになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかっ た。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私に は、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見 えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げ ることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カル マ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の 心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

PART 4. FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを 始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になり ました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになった んです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップル が大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀 裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうこ とです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたら いいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、 そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人 ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでし た。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんで す。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということ が分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わ りに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は 私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功して いるアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アッ プルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の 薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り 投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好き なことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底か ら満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、 好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかる とすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけな い。

PART 5. ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って 生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在 に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私 は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常 に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や 挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に 大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限 り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
               
PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上 の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符 牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝 えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。 それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を 突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静 剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出 したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありが たいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い 経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経 験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに 行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、 そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェ ンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君 たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、で もそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡 め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感 を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だから それ以外のことは全て、二の次でいい。

PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、”The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)”というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌 面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライター とはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきも ので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でし た。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度 は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たち に、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
翻訳 市村佐登美
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29th March, 2010

posted 1 year ago

Airfoilを終了したうえで、ターミナルで
defaults write com.rogueamoeba.Airfoil speakerLatency -float 0.6
これを入力してリターン。
0.6の部分を好きな数字に変える。デフォルトは2。

8th March, 2010

神への願い(2chから引用)

posted 1 year ago

大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神に求めたのに、 謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。 より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、 より良きことができるようにと、病弱を与えられた。 幸せになろうとして、富を求めたのに、 賢明であるようにと、貧困を授かった。 世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、 得意にならないようにと、失敗を授かった。 人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、 むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた。 求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。 神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、全て叶えられた。 私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ

16th February, 2010

» Jabra Clipper クリップ型Bluetoothヘッドセット、3.5mmジャック搭載

15th February, 2010

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8th February, 2010

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25th January, 2010

●感謝とは何か?

 ここで、感謝とは一体何かを考えてみたい。

 まずは、あなたが今までに「うれしい」と感じた経験を思い出してみてほしい。他者から親切にされた時、あなたは「感謝しよう」「ありがたいと思おう」とは考えなかったはずだ。

 本当の感謝とは、「感謝しなければいけない」と頭で考えている状態ではなく、うれしい、ありがたいという感情が自然に内面から芽生えてくる状態を指す。感謝とは、気持ちを体で「感じる」ことなのだ。

●社員に感謝の気持ちを感じてもらうには

 もし社員やプロジェクトメンバーに顧客への感謝の心を持ってほしいと考えた場合、あなたならどうするだろうか。

 多くの人は、「顧客に感謝しなさい」と直接的に伝えるだろう。これを聞いた社員やメンバーは「感謝しなければいけない」と考え出すか、「言われなくても分かってる。うるさいな」という反抗心が芽生えてしまう。これでは感謝の気持ちは生まれない。

 感じる力を高めるには、社員がどのような時に、うれしい、ありがたいと感じるかを考えてみるといい。

 例えば、社員のサービスで顧客がどんな喜びを感じているのかを調べ、社員やメンバーに伝えてみるのだ。自分の仕事が顧客から認められていることを知ると、うれしさやありがたさを自然と感じるものだ。冒頭のJALのように、顧客と直接言葉を交わして感謝の気持ちを感じる機会を作ってみるのもいい。過去の実績に加え、社員がこれから企画するサービスや開発する製品によって、顧客がどう感じ、どんなうれしい評価がもらえるのかを想像してもらうのもいいだろう。

 組織をたばねるリーダーがこうした取り組みを率先することで、メンバーの感謝の心は自然と育っていく。これを繰り返して習慣化することで、企業全体の感謝力も上がっていくだろう。

●わたしはこうして社員に伝えた

 わたしが以前プロジェクトチームのリーダーを務めていた時に、顧客からメンバーのスキル不足や自発性の欠如を指摘されたことがあった。以前は顧客の言い分を聞き、「もっとスキルを付けなさい」「自発的に行動しなさい」とメンバーにそのまま伝えていた。だがメンバーの多くが顧客からのクレームと受け取り、チーム全体の士気が下がっていった。このままでは顧客との信頼関係が崩れるのでは、と悩んでいた。

 そこで、顧客からの意見をメンバーがうれしいと感じてもらうように、伝える方法を変えた。伝える内容の語尾に「うれしい」という言葉を付けてみたのだ。

 例えば「もっとスキルをつけなさい」を「スキルを身につけたら、顧客はうれしいと思うよ」、「もっと自発的に行動しなさい」を「自発的に行動できたら、顧客はうれしいんじゃないかな」といった具合に変えてみた。欠点を指摘するのではなく、顧客から喜ばれることがうれしく、顧客と一緒に働けることがありがたい、と感じてもらうように、顧客からの言葉をかみ砕いて伝えたのである。 結果として、顧客の意見を前向きにとらえるメンバーが増え、現場の雰囲気が明るくなった。

 また、メンバーが顧客のことを考えた上で仕事をするようになった。例えば、メンバーの一人はプレゼンテーション資料を作成する際、それまでは「資料のここを指摘されるから、事前に突っ込まれないようしよう」といった理由で膨大な資料を作っていた。だがうれしいという言葉を意識するようになったことで、「顧客がこの資料を見てどんな疑問を持つか? どんな情報があればうれしいのか?」と未来の視点から考えて資料を作るようになった。そのおかげで、メンバーは顧客だけでなく会社からの評価も勝ち取っていった。

 メンバーの欠点の指摘を好むリーダーはいない。少し言い方を変える工夫をするだけで、顧客からの改善点の指摘を遠慮無く伝えることができ、結果としてメンバーのモチベーションも上げることができる。現場にも、感謝の気持ちが染みわたっていくだろう。

●もっとも簡単に「感謝力」をつける方法

 社員、メンバーの感謝力をより高める別の方法もある。それは経営層やリーダーであるあなた自身が率先して、メンバーに感謝の気持ちを伝えることだ。「うちの社員でいてくれてありがとう」「君がいてくれるおかけで、本当に助かるよ」など、普段心の中にある気持ちを、言葉に出して伝えよう。

 経営者やリーダーであるあなたの一言は、社員やメンバーの一人一人がうれしい、ありがたいという喜びや感謝を感じる上で、とても大きな力を持つ。その力が社員に活力をもたらし、その気持ちに応えたいという意識を生じさせるのだ。結果として、顧客へのサービスが改善され、顧客から「ありがとう」という感謝の言葉が得られる。社員が顧客に本当の意味での感謝の気持ちを感じるのは、この瞬間だ

16th December, 2009

(via solongagoanotherplace)

13th December, 2009

(via solongagoanotherplace)

6th December, 2009

豚しゃぶサラダ - 気分しだいで食べりゃんせ♪
 

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